伊尹流に祟る怨霊となった藤原朝成さんの話 その弐
三条中納言水飯を食う話 第二十三
今となっては昔のこと。
三条中納言という人がいました。
名は朝成と言いました。
三条右大臣藤原定方と申した人のご子息です。
学識のある方で、唐の国の事も我が国の事も全て良く知っており、思慮深く肝の据わった威圧感のある人でした。
また笙を吹くのが極めて上手くていらっしゃいます。
さらに蓄財の才能もあって、家も豊でした。
背は高くて太っていましたが、あまりにも太りすぎていて自身でも苦しさに耐えられないほどに肥えていました。
そこで、朝成は医師の和気重秀を呼び出しました。
「こんなにも太ってしまうのを、なんとかできないものか。立ち居するにも体が重くて非常に苦しいのだ」
重秀は朝成に言いました。
「冬は湯漬け、夏は水漬けにして御飯をお召し上がりになるのがよろしいでしょう」
その時は六月頃の事でした。
朝成は重秀に
「ならばしばらくそこに居てくれ。水飯を食べるところを見せよう」
そうおっしゃったので、重秀は言われるままに控えておりました。
朝成が召使いの者を呼ぶと、一人やって参りました。
「いつもの食事のようにして、水飯を持ってこい」
朝成がそう言うと、召使いは立って部屋を出ていきました。
しばらくして食卓を持ってくると、朝成の前に据えました。
食卓には箸の台が二つほど置いてあります。
続いて召使いが皿を持って来ました。
お膳に並べた皿を見てみますと、中くらいのお皿に三寸(約9㎝)ほどの白い干し瓜が切らずに十個ほど盛りつけてあります。
別の中くらいのお皿には大きく幅広い鮨鮎を尾と頭だけを押し鮨にして、三十個ほど盛ってあります。
また、大きなお椀が添えてあり、それらをみな食卓にならべました。
別の召使いが大きな銀の提に大きな銀の匙を立てて重そうに持って来ると、前に置きました。
すると、朝成は椀を取って給仕に渡し、
「これに盛れ」
とおっしゃると、給仕の者は匙で御飯を山のように盛り上げて、脇に少し水を入れて朝成に差し上げました。
朝成は食膳を引き寄せ、椀を持ち上げなさいます。
大きな手でお椀をお持ちになると、なんと大きなお椀か…と思っていたのがまるで普通のお椀のように見えるのです。
まず、干し瓜を三切れほどに食いちぎり、それを三つほど食べます。
次に鮨鮎を二切れほどに食いちぎって、五つ六つと難なくたいらげてしまいます。
そして水飯を引き寄せて、二度ほど箸でかき回したかと見るうちに、あっという間に飯がなくなってしまったので、朝成は
「おかわり」
と言って椀を差し出しなさいました。
これを見て重秀は
「いくら水飯だけを食べるとしても、こんな調子でお食べになれば、更に太られ肥満がおさまるはずがありません」
そう言うと逃げ出して、のちのちこの事を人に話して笑ったそうです。
ですからこの朝成中納言はますます太って、相撲取りのようであったと語り伝えられているとか。
~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~
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