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    平成21年3月24日
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カテゴリー「『説話etc』口語訳」の6件の記事

2009年8月30日 (日)

『江談抄』(二七)より

行成大納言、堅固の物忌を為すといへども、召しに依り参内する事


 行成大納言が蔵人頭だった時のことです。
厳重に物忌みをしなくてはならない日だったので自宅に籠もっていたところ、宮中より大事な用があるからとお召しがありました。
行成は参内すると、内裏で急に気分が悪くなったのです。
恐ろしく思いながらも清涼殿に参上しました。
主上はすぐに様子がおかしいのに気付き、
「誰だ、あれは」
声をあげて仰せになります。
するとすぐに、主上の声に応じて
「朝成である」
と声が返ってきました。
主上は行成に取り憑いた物の怪が御簾内に入って来れぬようにし、
行成は主上のお側近くに参って物の怪から逃れたと聞いています。
 これはつまり、行成の祖父一条大将伊尹と朝成が大納言職をめぐって敵対したことから、孫である行成に祟ろうとしたのであろうとのことです。

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2009年7月 1日 (水)

今昔物語集 巻第二十八

伊尹流に祟る怨霊となった藤原朝成さんの話 その弐

三条中納言水飯を食う話 第二十三

 今となっては昔のこと。
三条中納言という人がいました。
名は朝成と言いました。
三条右大臣藤原定方と申した人のご子息です。
学識のある方で、唐の国の事も我が国の事も全て良く知っており、思慮深く肝の据わった威圧感のある人でした。
また笙を吹くのが極めて上手くていらっしゃいます。
さらに蓄財の才能もあって、家も豊でした。

 背は高くて太っていましたが、あまりにも太りすぎていて自身でも苦しさに耐えられないほどに肥えていました。
そこで、朝成は医師の和気重秀を呼び出しました。
「こんなにも太ってしまうのを、なんとかできないものか。立ち居するにも体が重くて非常に苦しいのだ」
重秀は朝成に言いました。
「冬は湯漬け、夏は水漬けにして御飯をお召し上がりになるのがよろしいでしょう」

 その時は六月頃の事でした。
朝成は重秀に
「ならばしばらくそこに居てくれ。水飯を食べるところを見せよう」
そうおっしゃったので、重秀は言われるままに控えておりました。
朝成が召使いの者を呼ぶと、一人やって参りました。
「いつもの食事のようにして、水飯を持ってこい」
朝成がそう言うと、召使いは立って部屋を出ていきました。
しばらくして食卓を持ってくると、朝成の前に据えました。
食卓には箸の台が二つほど置いてあります。
続いて召使いが皿を持って来ました。
お膳に並べた皿を見てみますと、中くらいのお皿に三寸(約9㎝)ほどの白い干し瓜が切らずに十個ほど盛りつけてあります。
別の中くらいのお皿には大きく幅広い鮨鮎を尾と頭だけを押し鮨にして、三十個ほど盛ってあります。
また、大きなお椀が添えてあり、それらをみな食卓にならべました。
別の召使いが大きな銀の提に大きな銀の匙を立てて重そうに持って来ると、前に置きました。
すると、朝成は椀を取って給仕に渡し、
「これに盛れ」
とおっしゃると、給仕の者は匙で御飯を山のように盛り上げて、脇に少し水を入れて朝成に差し上げました。
朝成は食膳を引き寄せ、椀を持ち上げなさいます。
大きな手でお椀をお持ちになると、なんと大きなお椀か…と思っていたのがまるで普通のお椀のように見えるのです。
まず、干し瓜を三切れほどに食いちぎり、それを三つほど食べます。
次に鮨鮎を二切れほどに食いちぎって、五つ六つと難なくたいらげてしまいます。
そして水飯を引き寄せて、二度ほど箸でかき回したかと見るうちに、あっという間に飯がなくなってしまったので、朝成は
「おかわり」
と言って椀を差し出しなさいました。
 これを見て重秀は
「いくら水飯だけを食べるとしても、こんな調子でお食べになれば、更に太られ肥満がおさまるはずがありません」
そう言うと逃げ出して、のちのちこの事を人に話して笑ったそうです。

 ですからこの朝成中納言はますます太って、相撲取りのようであったと語り伝えられているとか。



~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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2009年6月22日 (月)

『続古事談』第二 第六話(四二)

伊尹流に祟る怨霊となった藤原朝成さんの話 その壱


 一条摂政藤原伊尹は、非常に見目麗しくいらしゃいました。
弘徽殿の細殿の局においでになり、明け方、冠に御髪を押し込んでお出になられると、随身がはきはきとした声で先追いをします。本当に素晴らしい様子です。
 この御方のご子息、義孝の少将も見目麗しい方でした。極楽往生なさった方でございます。その事に関しては有名ですのでここでは書きません。

 この伊尹と朝成中納言とは恨み合う事となり、朝成は怨霊になってしまったとか。
そのため、伊尹の子孫は三条西洞院の朝成の邸には入らないと申します。


 その伊尹と朝成が、同じく参議を望んだ時、朝成は伊尹がなるべきではないと吹聴してまわったそうです。
その後、朝成が摂政となった伊尹に
「大納言になりたい」
そう申しあげに参られたのを、伊尹はそのまま放置し、日が暮れて後に朝成に言いました。
「朝廷に仕える道というのは実に興味深いものです。昔、参議を望んだ時、貴殿は私を無用の者と申されましたかな。今、貴殿を大納言として用いるや否やは私の心次第というわけですか」
朝成は恥じ入って車に乗って帰ろうとした際、怒りにまかせて笏を車に投げ入れると、その笏は真っ二つに折れてしまいました。
さてその後、朝成は病を得て亡くなり、怨霊になったと言います。


 この朝成は、見苦しいほどに肥え太り、容貌なども普通とは異なっていたのでしょう。
初めて殿上に参りました時、村上天皇は朝成を御覧になると、驚きなさって
「あれは誰だ!?」
そう朝成の兄の朝忠にお聞きになります。
「私の弟にございます」
朝忠の返事に、主上は重ねて問われます。
「何か才能はあるか?」
「一通りの学問は修めておりますが、特にどうこう言うほどのものではないでしょう。また笙を嗜んでおります。その善し悪しは知りませんが」
朝忠はそう申しあげます。
主上は笙を朝成に与え、吹かせなさいますと、その音色は雲に通じ妙なる調べがあまりに素晴らしかったので、それ以後は主上の恩寵もあり、管絃の御遊びの折りには必ず召されたそうです。



   ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~


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2009年5月23日 (土)

『撰集抄』巻八 第十八より

実方中将桜狩ノ歌ノ事

 昔、殿上人たちが花見をしようと東山に出かけたのですが、心ない俄か雨に降られて大騒ぎになりました。
そんな中でただ一人、実方の中将は少しも騒がず桜の木の下に身を寄せて

「  さくらがり雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の陰にやどらん
花見に来たら雨が降ってきた。どうせ濡れてしまうのなら桜のかげで雨宿りしようじゃないか

そう詠み、他の人たちのように牛車の中などに避難しようとしなかったので、桜の木から滴り落ちてくる雨水にぐっしょり濡れて、びしょびしょの装束をしぼりかねてしまうほどでした。
この実方の行動を、人々はとても風流なことだと思い感心したそうです。


 翌日、斉信の大納言が主上に
「こういった面白いことがあったのですよ」
と実方のことを申し上げたところ、その場にいた行成…当時は蔵人頭でしたが、
「歌は面白いですね。だが実方殿はバカですよ…」
などと言ったそうです。
この行成の言葉を実方は耳にして、行成のことを深く恨んだと聞いております。


   ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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2009年5月22日 (金)

『十訓抄』八ノ一より

行成vs実方

 大納言藤原行成卿が、まだ殿上人だった時のこと。
実方の中将は一体何に腹を立てていたのでしょうか、清涼殿の殿上の間で行成と顔を合わせた途端、何も言わずに行成の冠を叩き落として庭に投げ捨ててしまったのです。
行成は少しも騒ぐことなく近くにいた主殿寮の役人を呼びました。
「冠を取ってきてくれないか」
そう言うと、冠をかぶり直し、守刀から笄を抜き出し髪の毛のほつれを整え、居ずまいを正して実方のほうへ向きました。
「一体何があったのでございますか?いきなりこんな酷い仕打ちを受けなければならない覚えが私にはないのですが…。理由をうかがった上でどうするか考えたく存じます」
行成があまりにも丁寧に言われたので、実方は拍子抜けして逃げ去ってしまいました。

 それをちょうど主上(一条天皇)が、御座所から小蔀ごしに御覧になっていて
「行成は何と立派な人物だろうか。あれ程まで落ち着いて思慮深い男だとは思わなかった」
そうおっしゃると、ちょうど蔵人頭の職があいていたので、多くの人を越えて行成を任命なさいました。
一方、実方に対しては、中将の職を取り上げて、
「歌枕の地を見て参れ」
と、お命じになると陸奥守に任じて奥州の国へ左遷なさってしまいました。
そして、実方はその地で亡くなってしまいました。。

 実方のほうこそ蔵人頭になりたいと望んでいたのに…
その願いもかなわず死んでしまったという執念がこの世に残って雀となり、殿上の間の小台盤の上に飛んできては、そこの御飯をつついているとか。
誰かが言っていたそうですよ。
 一人は我慢が足りず前途をなくし、もう一人は耐え忍んだことで褒賞に預かった。これはその典型的な例なのです。

   ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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2009年5月 3日 (日)

『古事談』百三十三 

行成、俊賢ノ恩ヲ忘レザル事の巻



 行成さまは不遇な自分の将来に失望しヤケを起こして、「今すぐにでも出家してやる」と思いました。
俊賢さまが蔵人頭だった頃の事なのですが、俊賢さまは行成さまの家へ行くと、出家しようとしていた行成さまを止めて尋ねます。
「代々伝わっているような家宝はあるか?」
「宝剣がありますが…」
「ではそれを早く売って金を作り祈祷をしなさい。私はね、そなたを次の蔵人頭に推挙しようと思っているのだよ」
俊賢さまはそう言いました。
おかげで、四位で無職も同然だった(前兵衛佐で、備後介)行成さまは蔵人頭に任じられました。

 中納言になってしばらくの間、俊賢さまよりも行成さまのほうが身分が上だったのですが、俊賢さまの御恩を思って決して俊賢さまよりも上座に座らなかったそうです。

 ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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