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    平成21年3月24日
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カテゴリー「『大鏡』口語訳」の5件の記事

2009年12月10日 (木)

『大鏡』第三 伊尹伝より

行成ネタその四 独楽のこと・扇のこと


行成さまは少々不得手の事に関しても、思慮深く工夫をなさって、そつなくこなしてしまう御性分の方です。

 後一条天皇がまだご幼少の頃、主上は人々に
「いろんなおもちゃを持ってきておくれ」
そう仰せになりました。
皆は様々に金や銀などで細工を凝らし、なんとかして主上のお気に召す物をと思って意匠を凝らした物を作り、それぞれ持って参りました。
そんな中で、行成さまは独楽に村濃の紐を添えて主上に差し上げました。
主上は興味をお持ちになりました。
「変な形の物だね。これは何?」
「これはですね…」
行成さまは主上に独楽の説明をして
「回してごらんなさいませ、面白いものでございますよ」
そう申し上げたので、主上は紫宸殿にお出ましになり独楽をお回しなさいます。
すると独楽は広い御殿の中をくるくるくると回り歩いていきました。
主上はとても面白がられて、この独楽でばかりいつもお遊びになられたので、他のおもちゃはお蔵入りになってしまったそうです。

 また、殿上人がいろいろな扇を作って主上、この時は一条天皇、に差し上げるということがありました。
他の方々は扇の骨に蒔絵をほどこしたり、あるいは金・銀・沈香木・紫檀の扇の骨に象嵌細工や彫刻をしたり、えもいわれぬほど見事な紙に、人がそうそう知らないような和歌や漢詩、また日本全国六十余国の歌枕の名所の景色なんかを描いたりした扇を主上に差し上げました。
 ところが例によって行成さまは、骨は漆だけを綺麗に塗り黄色い唐紙の下絵のほのかに感じよく描かれただけの扇に、表側には楽府の文句を端麗に楷書で、裏側は筆勢に心を込めて草書で見事に書いて主上に差し上げました。
主上は行成さまの扇の表裏を何度も何度も御覧になり、御手箱にお入れになって大切な宝物とお思いになり、他の扇はただ面白いと御覧になっただけでした。
 独楽も扇も主上がとても感激なされたわけで、これに勝る名誉が他にあるでしょうか。


   ~~~~~~〈以下解説?〉~~~~~~

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2009年9月13日 (日)

『大鏡』第三 伊尹伝より

行成ネタその参 和歌の事

 この大納言行成さまは何事もそつなくこなしてしまえる多才な方なのですが、和歌だけは少々苦手とされていたようです。

 ある日、清涼殿にて和歌について論議しようという事になりました。
和歌に熱心な方々が、どのように歌のやり取りをするのがよいかなどと、まぁ歌についての話題以外、話にのぼらない有り様だったのですが、行成さまは黙り込んだまま何も言いません。
同席していた方が、どうしたのだろう?と思い
「難波津に咲くやこの花冬籠り・・・・行成殿はこの歌をどう思われますか?」
そう行成さまに話を振ったのです。
行成さまはしばらくの間、何も言わず、ひどく考え込んでいるようなそぶりをして
「さぁ、よくわかりません」
とだけ答えたので、その場にいた人達はみんな大笑いしてすっかり座がしらけてしまい、和歌論議の方はそれっきりになってしまいました。


   ~~~~~~〈以下解説?〉~~~~~~

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2009年7月20日 (月)

『大鏡』第三 伊尹伝より

行成ネタその弐 怨霊に狙われるの巻(後編)


ある日、藤原道長さまは奇妙な夢を見ました。
紫宸殿の北廂、そこは清涼殿に参上するときに必ず通る所なのだけれど、そこに人が立っているのです。
道長さまは、誰だろう?と思って、よく見ようとするのですが顔が戸の上に隠れてしまっていてはっきりと見えません。
不思議に思って
「誰だ?誰なのだ?」
何度も問いかけると
「朝成でございます」
そう応えが返ってきました。
道長さまは夢の中とはいえ非常に怖く思いましたが、ぐっとこらえて
「何故そのような所に立っておられるのか?」
「頭弁の藤原行成が参内するのを待っているのです」
人影がそう言うと道長さまは、ハッと目を覚ましました。
「今日は朝廷で行事のある日だったな…行成殿は早朝から参内してしまうだろう。いかんな」
道長さまは筆を取ると「貴殿の身の上に関して、良くない夢を見みた。今日は病欠届けでも出して物忌みを厳重になされよ。参内してはいけない。詳しいことは直接会って……」と書きつけて急いで送りました。
ところが行き違いになってしまい、行成さまは朝とても早いうちに参内してしまいました。

行成さまは神仏のご加護が強かったのでしょうか。
その日はいつもの道を通らずに北の朔平門から入って藤壺と後涼殿の間を通って清涼殿に参りました。
清涼殿にいる行成さまを見て道長さまは驚き、
「どうして参内しているのだ。手紙を差し上げたのだが御覧になっておらぬのか?実はそなたの事で嫌な夢を見たのだ。早く退出なさるが良いですぞ」
と言います。
行成さまは心当たりがあるのか、手をポンと軽く打つとどんな夢かも問わず、また二言と口をきかずにすぐさま退出してしまいました。そして祈祷などをしてしばらくの間は参内すらしませんでした。

この物の怪、すなわち藤原朝成さまの家は三条大路の北、西洞院大路の西にあります。今でも伊尹さまの一族は、ほんのちょっとの間でも足を踏み入れようとはなさらない場所です。


    ~~~~~~〈以下解説?〉~~~~~~

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2009年6月19日 (金)

『大鏡』第三 伊尹伝より

行成ネタその弐 怨霊に狙われるの巻(前編)


 この話は皆様ご存知のことだと思いますが…
中納言藤原朝成卿と一条摂政藤原伊尹公は同時代の殿上人でした。
家柄の点では伊尹さまに劣っていましたが、学才も人望も優れた人物です。
そんな朝成さまが蔵人頭になれそうな機会がめぐってきた折、伊尹さまも次期蔵人頭にふさわしい立場でした。
朝成さまは
「伊尹どのは今回の人事で蔵人頭にならぬとも、世間の人があれこれ悪く言うことはありますまい。それに、貴殿なら後々いつでも蔵人頭になれましょう。しかし私は今回なり損ねると非常に情けない思いをする事にになるだろうから、伊尹どの、今回は蔵人頭を希望なさらないでくだされ」
そう頼み込みますと、伊尹さまは
「わかりました。では今回は願い出ないでおきましょう」
と言いったので、朝成さまは、うれしい事だと安心しておりました。
ところが、伊尹さまはどう気が変わってしまったのか、朝成さまに何の断りもなく蔵人頭になってしまったのです。
朝成さまは「話が違うではないか、よくも騙したな!!」と非常に腹を立て、それ以後二人の仲はとても悪くなり、そのまま月日が経ってしまいました。

 そのうちに、朝成さまが伊尹さまの家来の一人に失礼なことをしたという事を伊尹さまは聞きつけ
「蔵人頭の職を取られて不本意に思うのはわかるが、どうして何かにつけて我らに対してこのような無礼な態度をとるのだろうか」
そう腹を立てているということを朝成さまは耳にしました。
そこで朝成さまは「決して悪意はなかったのだ」という事を申し上げて誤解を解いてもらおうと、伊尹さまのお邸に出向きました。

 当時、自分よりも身分が上の方の所へ行った時は、相手のほうから「どうぞ、こちらへ」と案内がないうちに邸へ上がったりはせず、屋外に立って待っていたのだそうです。
 この日は、六・七月の非常に暑くて耐えられない頃でした。
朝成さまは訪問の理由を取り次ぎの者に伝えると、今か今かと中門の所で立って待っていましたが、次第に西日が射し込んできて、暑くて耐え難いどころじゃありません。
気分も悪くなってしまいそうで
「ハナから伊尹どのはこの私をあぶり殺そうと思っているのではないか?わざわざ参上して意味のないことをしてしまったものだ」
そう思うと、伊尹さまへの憎悪が湧き起こるなんてなまやさしいものではありません。
夜になってしまったので、このままでいるわけにもいかず朝成さまは持っていた笏をぐっと握りしめ、立ち去ろうとするとバキョっと笏が音を立てて折れてしまいました。
いったいどれほどの念を込めて握ったのでしょうか…
 さて、朝成さまは自宅に帰ると
「伊尹の一族は絶対に根絶やしにしてやる。たとえ息子や娘がいたとしても、まともな人生を送らせるものか。気の毒だ、などと言う奴がいたらそいつも恨んでやる!」
などと誓って亡くなってしまいました。
そして朝成さまは伊尹さまの御一族に代々祟る悪霊となってしまったのです。
 こういったわけで、まして行成さまは伊尹さまの孫で近い血筋なので本当に恐ろしいことです。


  ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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2009年4月30日 (木)

『大鏡』第三 伊尹伝より 

行成ネタその壱 蔵人頭になるの巻


 義孝の少将さまが桃園の源中納言保光卿の姫君と結婚してできた御子がね、今の侍従大納言行成卿、あの天下の能書家と名高い方ですよ。
 行成さまの男のお子様達の中で、今の但馬守実経さまと尾張守良経さまの二人は源泰清の三位さまの姫君(姉君)が産みました。
正妻(妹君)の子は少将行経さまです。
姫君は、藤原道長さまの子で高松殿腹の権中納言長家さまの北の方でしたが、亡くなってしまいましたよね。
あと、姉君腹の中の君は今の丹波守源経頼さまの北の方になっています。
他に長女の大姫さまがいるとか。



 この行成さまこそが、備後介でまだ地下人で昇殿もできぬ身分だったのに、一挙に蔵人頭になった方なのです。
こういった例は非常に珍しいことですよね。

 その当時、源民部卿俊賢さまが蔵人頭でしたが、参議に昇進する予定だったので一条天皇は俊賢さまに
「そなたの後任は誰が適当であろう?」
そうお尋ねになりました。
「行成こそが私の後任にふさわしい者でございましょう」
俊賢さまが申し上げると、主上は少しためらっているご様子。
「行成は地下人だ。地下の者を蔵人頭にするのは……」
「主上、あの者は実に貴重な人物でございます。地下人だからといって気になさる必要はございません。末永く主上の側近く仕えるのに充分力量のある者でございます。あのような優れた人材を登用しないのは世の為にも良くないことです。君主たる御方が物事の道理をわきまえていらっしゃればこそ、人々も心を尽くして主上にお仕え申し上げるのです。この機会に彼の者を蔵人頭になさらないのなら、多大な損失となりましょうぞ」
そう言って俊賢さまが推挙なさいましたので、まぁ当然の結果とはいえ行成さまが蔵人頭になりました。

 なんでも、昔は前任の蔵人頭が後任を推挙して任じていたのだそうですよ。
そこで、殿上人たちのなかで、「自分こそが次の蔵人頭に違いない」と思っていた方が、今宵任命があると聞いて参内してきました。
そして宮中のとある場所で行成さまとばったり顔をあわせたのです。
「そなたは誰だ?」
不審に思いながらその方が尋ねると、行成さまは名前を名乗って言いました。
「蔵人頭に任じていただきましたので、参内したのでございますよ」
その行成さまの言葉に相手の方は茫然自失、そのまま身動きもせず立ち尽くしていたとか。
たしかに思いもよらぬ人事でしたから当然でしょうね。



 行成さまは俊賢さまが自分を推挙してくれたことを良くご存知でした。
行成さまが従二位なった時でしたかね、行成さまの位が俊賢さまを越えたのですよ。
けれど、行成さまは決して俊賢さまの上座に座らなかったのです。
俊賢さまが出仕する日は、ご自分は病欠の届けを出し、どうしても一緒に出仕しなければならない日には向かい合わせの席に座りました。
 その後、俊賢さまが正二位に昇ると以前のように行成さまの身分が俊賢さまよりも下になったので、そのような気遣いがいらなくなりました。



 それにしても、この伊尹さまの一族は蔵人頭をめぐる争いで代々敵をつくってしまうようでしたので、はたして行成さまは何事もなく無事過ごすことができるのでしょうかね。

 ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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