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    平成21年3月24日
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2009年7月の6件の記事

2009年7月29日 (水)

生まれ変わるなら…

仕事の部署変わってバタバタしてたり、
DQⅨやってたりで更新ご無沙汰してます。
ちょっと生存報告がてらにコネタマでもw

コネタマ参加中: 戦国、明治、鎌倉…生まれ変わるなら何時代?

もちろん平安時代!!それも西暦1000年前後で!…と言いたいところですが、
生まれ変わる=その時代で生きていかねばならないのなら
貴族かそれに準ずる身分でならってのが条件ですw
あの時代…というかどの時代もかもしれませんが、
主導権を握ってる階級に属してないと
時代を謳歌できないでしょうからねぇ…
庶民クラスじゃ日々生きていくので精一杯でしょう。。。

きwぞwくwとか調子こきすぎなら、
江戸時代中期とか明治~大正あたりとか?
いっそ身分差があまりなさそうな弥生時代とか
(さすがに縄文は…ちょっとw)

いずれにしても、平和な時代がいいです(´ー`)

2009年7月20日 (月)

『大鏡』第三 伊尹伝より

行成ネタその弐 怨霊に狙われるの巻(後編)


ある日、藤原道長さまは奇妙な夢を見ました。
紫宸殿の北廂、そこは清涼殿に参上するときに必ず通る所なのだけれど、そこに人が立っているのです。
道長さまは、誰だろう?と思って、よく見ようとするのですが顔が戸の上に隠れてしまっていてはっきりと見えません。
不思議に思って
「誰だ?誰なのだ?」
何度も問いかけると
「朝成でございます」
そう応えが返ってきました。
道長さまは夢の中とはいえ非常に怖く思いましたが、ぐっとこらえて
「何故そのような所に立っておられるのか?」
「頭弁の藤原行成が参内するのを待っているのです」
人影がそう言うと道長さまは、ハッと目を覚ましました。
「今日は朝廷で行事のある日だったな…行成殿は早朝から参内してしまうだろう。いかんな」
道長さまは筆を取ると「貴殿の身の上に関して、良くない夢を見みた。今日は病欠届けでも出して物忌みを厳重になされよ。参内してはいけない。詳しいことは直接会って……」と書きつけて急いで送りました。
ところが行き違いになってしまい、行成さまは朝とても早いうちに参内してしまいました。

行成さまは神仏のご加護が強かったのでしょうか。
その日はいつもの道を通らずに北の朔平門から入って藤壺と後涼殿の間を通って清涼殿に参りました。
清涼殿にいる行成さまを見て道長さまは驚き、
「どうして参内しているのだ。手紙を差し上げたのだが御覧になっておらぬのか?実はそなたの事で嫌な夢を見たのだ。早く退出なさるが良いですぞ」
と言います。
行成さまは心当たりがあるのか、手をポンと軽く打つとどんな夢かも問わず、また二言と口をきかずにすぐさま退出してしまいました。そして祈祷などをしてしばらくの間は参内すらしませんでした。

この物の怪、すなわち藤原朝成さまの家は三条大路の北、西洞院大路の西にあります。今でも伊尹さまの一族は、ほんのちょっとの間でも足を踏み入れようとはなさらない場所です。


    ~~~~~~〈以下解説?〉~~~~~~

続きを読む "『大鏡』第三 伊尹伝より" »

2009年7月18日 (土)

大河ドラマのコト

コネタマ参加中: あなたのベストオブ大河ドラマといえば何?

ベストっつーたら『武田信玄』かのぅ。
当時小学高学年でしたが、親と一緒になって毎週楽しみに見てた記憶があります。

個人的ツボは『花の乱』
主人公が足利義政の正妻日野富子とか室町幕府は守備範囲外だったので、
ぶっちゃけ「ダレ?」状態ではありましたが、ヘタレオヤジスキーとして
義政のヘタレっぷりにかなり萌えたものです(´ー`)
その義政が楽琵琶を一人奏でるシーンがあってのぅ…
当時雅楽とか全く知らず、琵琶ったら平家琵琶のベベベンなノリしか知らずで、
楽琵琶の音色に相当衝撃受けたことを覚えてます。
自分の中ではウケの良かった『花の乱』ですが、家族の間ではコノ大河ツマンネ('Д')な空気が支配的で日曜20時~見るのがかなり大変でした(つД`)

あぁ、あと『北条時宗』
毎回放送後にネット上でツッコミ満載の他人の感想を見るのが楽しみだったというw
イロイロ無茶苦茶だったけど、楽しんで見る事が出来た最後の大河ドラマかのぅ。
宗尊親王は大河に出てきたベストオブ公家です(・◇・)



番外で中国の大河ドラマ『三国演義』
最近の長距離ドライブのお供になってます。
完全版DVDで見てるので恐ろしく長い…(全84話w)
今年のGW頃から見始めて最近やっと桃園三人組が蜀取り果たしました。
魏じゃ曹丕と曹植が後継争いを繰り広げているのに、
いまだに司馬懿が出てこなくてヤキモキしてます。。

↑見終わったら完全版で『太平記』見たい。
相当評価高いようで、当時の私なんで見てなかったんだ…○| ̄|_

2009年7月16日 (木)

龍づくし

ダンナさんがどっか行きたいと言うので(無類の旅行好きというか特に目的なくても遠出するが好きらしい)以前から行きたいと思っていた所をテキトーにチョイスして奈良に日帰りで行ってきました。
土日高速1000円サマサマです。



【室生寺】

女人高野とも言われる室生寺です。
平成十年の台風による五重塔損壊は記憶に新し…あぁもう11年も前のことなのか…今ちと己の歳の事が思い起こされてショック受け中○| ̄|_

Murouji2_2その五重塔は綺麗に修復されてました。
以前はもっと木々に囲まれていたらしいですが、今は周りの木々すっきりしちゃってます。
それでも充分美しいですけれどね。室生寺は建物の屋根が杮葺で、一般的なお寺が瓦葺なのとは異なっております。
それがなんともやさしい雰囲気を醸し出していて良い感じでした。

御朱印は本堂(灌頂堂)の如意輪観音さんのをいただきました。
他に入り口付近で如意宝珠?、奥の院でお大師さんの御朱印がいただけるようでしたが、全部もらってたらキリがねーわと思ってもらわず(´・ω・`)





【龍穴神社】


室生寺へ向かうT路のド正面に「龍穴神社」がっ!!
あああ、龍穴神社って室生寺のそばにあったんですね…(←知らなかった人)
龍穴神社といえば、漫画版『陰陽師』での雨乞いツアーにも出てきたってこともあり、
そっち方面(どっち?)好きには有名?な神社かと。
実際古記録にも多数祈雨の記録が残る実に由緒ある神社で、
太く高い多数の杉の木に囲まれた境内はすっごく気持ちのいい所でした。
(ああもぅ、この感動を伝えるに足るボキャブラリーなくて凹みそう(つД`)

御祭神は高龗神(タカオカミノカミ)
水を司る神様です。
室生寺との関係は非常に密接で、
昔は(明治の廃仏毀釈以前ね)神仏習合の考えから龍穴神社は室生寺の鎮守社であり、
室生寺は龍穴神社の神宮寺というラブラブ関係だったそうです。
かつては(今も?)御祭神を善女龍王として崇めていました(境内のどっかの額に「善如龍王」って書いてあったよ)

室生寺拝観後、その龍穴神社に向かったわけですが、
ダンナさん神社前を通過しつつ「ドコ?」とか言う罠(´・ω・`)
(そうそう見落としようが無いくらい大きく看板?があるのに・・・)
Uターンできる場所探して少し走った先に「←龍穴神社」の看板と山に入ってく小道がありまして、こっちからでも行けるんじゃね?と左折。
細くて路肩が危なげなぐねぐね道をしばらく登っていくと奥宮の方に到着。。
なんか激しく順番間違えてる気がします…

小さな鳥居をくぐり、かなり急な小道(つか階段)を降りていくと、
これまた小さな拝殿?の奥にぽっかり注連縄をつけた洞穴がありました。
そこが龍がおわす龍穴です。
やヴぁい、下で挨拶する前にいきなり本邸に上がり込んじゃったぽい。。

Ryuuketu2

写真は招雨瀑。
滝の水は巨大な岩盤を滑るように流れて写真の左手下流にある龍穴前に至ります。
龍穴は…ちょっと写真は撮る気になれませんでした。
でもでも、非常に気持ちのいい場所でしたよ!!

奥宮参拝後に龍穴神社の本殿の方へ^^;
境内案内図に奥宮へは社務所へ申し出て浄衣を借りて参拝するのが好ましいと書いてありました。。

で、今この記事書くためにネット検索してて知ったんだが、、
下の拝殿裏から本殿へ回り込めたらしぃ…何このウッカリだらけの参拝…orz
検索結果イロイロ見てたら、ここの気に当てられたのか凄い電波出てるタレントのブログがあって吹いた。
私の出す電波なんてまだまだ可愛いものだわ(´ー`)




【大神神社】

背後の三輪山全体が御神体というスケールの大きな神社。
大和一ノ宮で三輪明神とも称します。

Oomiwa

御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)
大国主神の別名でもあり大己貴命の和魂を大物主神として祀ったもの…とも。

大物主さまといえば、
人間の娘を恋して矢に姿を変えてトイレを流れてみたり
(昔のトイレは小川の上に小屋立ててそこで用足した。水洗だったのです)
蛇の姿に変えて女性の元に通ってみたりと『古事記』等に色々とエピソードを残しておいでの神様。
という事でか、蛇神でもあり水を司る神様だそうな。
他にも産業関係をも司るとか云々(モノの神様ってことでかの)
非常にパワフルな神様で祟ることもあるとk((((゜Д゜;))))

御神体である三輪山はかつては禁足地でしたが、
今は登拝といって入山可能だそうです(←知らなんだorz)
いずれ機会があれば登ってみたいものです。

参拝の後は、三輪といえば三輪そうめん!!ってことでもちろん食べました。
そうめんは揖保の糸派なんですが、三輪そうめんも美味しかったです(*´Д`*)




【天理駅前商店街の雅楽器屋さん】

本日の多分メイン。
雅楽器屋の「たなかや 」さん。
ネット通販もされてますがやっぱ現物見たいので行ってきました(´ー`)b
雅楽器の他にもCDや関連書籍がたくさん置いてあってテンション上がりますw
以下戦利品の一部

『雅楽の装束 メモ』
東京の某雅楽会発行の本。
一般には流通してなさそう(ISBN無いし)
雅楽装束の着付け方載ってたらいいなぁと思って購入したけどやっぱなかった(´・ω・`)
なぜか緌(老繋)の説明に紙面割きまくってて吹いたw
ペライわりにはいい値段でしたが…同人誌と思えば相場な気もする不思議。。

週刊 人間国宝66 雅楽
ぐぁぁぁ、こんなナイスな本が出てたとはっっ
このシリーズはノーチェックでした。。
確かに宮内庁の楽師さん達は人間国宝ですね。
値段が雅楽関連書籍の中じゃダントツで安い(560円)のわりに中身が濃くてナイス。
写真が豊富なのに加え、楽師先生方がコラム書かれていて読み応えも◎です。
個人的ツボは楽師先生達がスーツ姿で稽古に励んでる写真。
すっごく違和感あって不思議な感じw

あと譜本とか龍&高麗笛用連管ケースとか雅楽シールとか…ここぞとばかりに買い込んでたら金なくなった\(^O^)/



適当チョイスの奈良旅行、妙に龍にご縁のある旅でした!!

Murosyu_4

RyuusyuOomiwasyu

本日戴いた御朱印。
左から『室生寺』『龍穴神社』『大神神社』

2009年7月11日 (土)

テレOだけとか(つД`)

某さまのブログで知ったんですが…
↓↓テレビO阪でこんなんやってるそうですよ(゜Д゜)↓↓

『歴史紀行 平家物語の人々』

出演のメンツがすげーわ、これまでの放送内容見たら野村萬斎さんが束帯(衣冠かもしらん)着てるわで、ものっそ見たいんですが!!
地元のテレI知の番組表チェックしても無くて…○| ̄|_
どうやらテレ東でもやってないご様子。。
O阪だけだなんて…なんと勿体ない事( iдi )


《7/13追記》
テレO阪でやってる番組はどうもDVDで出てる『原典 「平家物語」 』のようです。
一巻21000円(桁間違いじゃないです^^;)
全十三巻で26万2千5百円也。
で、現在刊行中の模様。
値段高すぎて流石に買ってまで見る気になれませんwww
26万あったら他にもっと欲しいものがありますし。。
しかしこのご時勢この値段でDVDとか…
どうせならブルーレイで売ればいいのにne('Д')

2009年7月 1日 (水)

今昔物語集 巻第二十八

伊尹流に祟る怨霊となった藤原朝成さんの話 その弐

三条中納言水飯を食う話 第二十三

 今となっては昔のこと。
三条中納言という人がいました。
名は朝成と言いました。
三条右大臣藤原定方と申した人のご子息です。
学識のある方で、唐の国の事も我が国の事も全て良く知っており、思慮深く肝の据わった威圧感のある人でした。
また笙を吹くのが極めて上手くていらっしゃいます。
さらに蓄財の才能もあって、家も豊でした。

 背は高くて太っていましたが、あまりにも太りすぎていて自身でも苦しさに耐えられないほどに肥えていました。
そこで、朝成は医師の和気重秀を呼び出しました。
「こんなにも太ってしまうのを、なんとかできないものか。立ち居するにも体が重くて非常に苦しいのだ」
重秀は朝成に言いました。
「冬は湯漬け、夏は水漬けにして御飯をお召し上がりになるのがよろしいでしょう」

 その時は六月頃の事でした。
朝成は重秀に
「ならばしばらくそこに居てくれ。水飯を食べるところを見せよう」
そうおっしゃったので、重秀は言われるままに控えておりました。
朝成が召使いの者を呼ぶと、一人やって参りました。
「いつもの食事のようにして、水飯を持ってこい」
朝成がそう言うと、召使いは立って部屋を出ていきました。
しばらくして食卓を持ってくると、朝成の前に据えました。
食卓には箸の台が二つほど置いてあります。
続いて召使いが皿を持って来ました。
お膳に並べた皿を見てみますと、中くらいのお皿に三寸(約9㎝)ほどの白い干し瓜が切らずに十個ほど盛りつけてあります。
別の中くらいのお皿には大きく幅広い鮨鮎を尾と頭だけを押し鮨にして、三十個ほど盛ってあります。
また、大きなお椀が添えてあり、それらをみな食卓にならべました。
別の召使いが大きな銀の提に大きな銀の匙を立てて重そうに持って来ると、前に置きました。
すると、朝成は椀を取って給仕に渡し、
「これに盛れ」
とおっしゃると、給仕の者は匙で御飯を山のように盛り上げて、脇に少し水を入れて朝成に差し上げました。
朝成は食膳を引き寄せ、椀を持ち上げなさいます。
大きな手でお椀をお持ちになると、なんと大きなお椀か…と思っていたのがまるで普通のお椀のように見えるのです。
まず、干し瓜を三切れほどに食いちぎり、それを三つほど食べます。
次に鮨鮎を二切れほどに食いちぎって、五つ六つと難なくたいらげてしまいます。
そして水飯を引き寄せて、二度ほど箸でかき回したかと見るうちに、あっという間に飯がなくなってしまったので、朝成は
「おかわり」
と言って椀を差し出しなさいました。
 これを見て重秀は
「いくら水飯だけを食べるとしても、こんな調子でお食べになれば、更に太られ肥満がおさまるはずがありません」
そう言うと逃げ出して、のちのちこの事を人に話して笑ったそうです。

 ですからこの朝成中納言はますます太って、相撲取りのようであったと語り伝えられているとか。



~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

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