『古事談』百三十三
行成、俊賢ノ恩ヲ忘レザル事の巻
行成さまは不遇な自分の将来に失望しヤケを起こして、「今すぐにでも出家してやる」と思いました。
俊賢さまが蔵人頭だった頃の事なのですが、俊賢さまは行成さまの家へ行くと、出家しようとしていた行成さまを止めて尋ねます。
「代々伝わっているような家宝はあるか?」
「宝剣がありますが…」
「ではそれを早く売って金を作り祈祷をしなさい。私はね、そなたを次の蔵人頭に推挙しようと思っているのだよ」
俊賢さまはそう言いました。
おかげで、四位で無職も同然だった(前兵衛佐で、備後介)行成さまは蔵人頭に任じられました。
中納言になってしばらくの間、俊賢さまよりも行成さまのほうが身分が上だったのですが、俊賢さまの御恩を思って決して俊賢さまよりも上座に座らなかったそうです。
~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~
◆行成出家を決意する
長徳元年(995)、空前絶後の流行病により正月に母を、五月には最大の後見人外祖父源保光を失い、従四位下備後権介とはいえ散位にも等しかった行成が将来に絶望した可能性は大いにあり得ます。
なにかと行成の事を気にかける源俊賢。
行成が無職中の間、元気付けてあげていたようで
「この前比叡山に行ったときに、君にとって良い夢をみたんだよ(『権記』正暦四年(993)七月十九日条)」と行成に語ったこともありました(当時は夢は非常に重んじられていた)
早くに父を亡くし不遇ながらも一生懸命頑張っている行成の姿が、自身の若い頃(俊賢の父源高明は俊賢が幼少の頃に左遷させられている)と重なって見えたのでしょうか…
そういえば、俊賢も義理堅い人です。
彼が蔵人頭に補された際、その人事をしたのは道隆で、彼も多くの人を超えたのですが、その道隆の恩を思い、道長が内覧宣旨をもらった日(つまり伊周に勝った日)、俊賢は寝たフリをしてささやかな抵抗を示したのだそうです。
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