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    平成21年3月24日
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2009年4月11日 (土)

『枕草子』百三十段

頭弁の職にまゐりたまひて

  頭弁藤原行成さまが職の御曹司へ参られたのでお話などをしていたら、
夜がすっかり更けてしまいましたわ。
「明日、主上の御物忌だから殿上に詰めなくてはいけないんだ。丑の刻を過ぎると日が変わって具合が悪いだろうから…」
行成さまはそう言うと参内なさってしまったの。

 翌朝、行成さまは蔵人所で使っている紙屋紙を重ねて手紙を贈ってきました。

.

   今日は心残りに思うことがたくさんあるような気がする。
   夜通しで、昔の事なども話したりして夜を明かそうと思っていたのに、
   鶏の声に急き立てられてさ

,

 などなどと、たくさんの事が書かれているその手紙の字の素晴らしさったら…
お返事に、
「夜遅くに鳴いたという鶏の声って、孟嘗君のアレでしょうか?」
って差し上げたら、折り返し
「孟嘗君の鶏は函谷関の門を開き、三千の食客がなんとか逃げおおせたって何かの本にあったけれど、僕が言っているのは逢坂の関のことだよ」
そんなご返事が返ってきたの。

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   夜をこめて鶏のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ

     しっかりした関守がいますからね。

,

こう書いて、差し上げたのよ。
そうしたら、またまた折り返し、

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   逢坂は人越えやすき関なれば鶏鳴かぬにもあけて待つとか

,

そう書かれた手紙が返ってきました。
最初に来た手紙は、僧都の君が土下座までして持っていってしまったの。
二通目の手紙は中宮さまのところに。
ところで、「逢坂は……」の歌のほうは行成さまのあまりの詠みっぷりに呆気にとられちゃって返歌せずじまいになってしまったのよ。
ホント酷いわ。

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「貴女のあの手紙はね、殿上人たちもみんな見てしまったのだよ」
行成さまがいらっしゃって、そうおっしゃるので
「行成さまって本当に私のことを思って下さるのね。今の一言でわかりましたわ。せっかくの出来のいい和歌も人々の間に広まらないのってつまらないですもの。でも逆にみっともない和歌が人目につくのって嫌なことですから、行成さまのあの和歌は一生懸命隠して絶対に人に見せたりしませんわ。こういう私と行成さまの心配りのほどをくらべたら、勝るとも劣らないでしょ?」
「ホント、貴女ってそんなふうに事の真意を見透かして言ったりする点なんて、さすがその辺の人たちとは違うよね。何も考えず見せびらかしたりして最低と、その辺の女性のように文句言われちゃうのかなって心配していたんだよ」
などとおっしゃって、行成さまは笑いなさる。
「まさかとんでもない。私はお礼をこそ申し上げたいくらいですのに」
「僕の手紙を隠してくれたってのは本当にとても嬉しいよ。もしあの歌が人目に触れでもしたら、どんなに恥ずかしく辛いことになっただろう。今後も貴女のその分別の良さを頼みにしてるからね」

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 その後、経房の中将さまがおいでになって、
「頭弁が貴女の事をたいそう褒めていたという事を知ってるかい?先日、彼からもらった手紙に書いてあったのだよ。私が想っている人が誰かに褒められるのって本当に嬉しいね」
などと、生真面目な様子で言うんですもの、面白いわ。
「嬉しいことが二つ重なりましたわ。行成さまが私のことを褒めて下さった事もそうですし、さらに経房さまの想い人の中に私が入っていたんですもの」
「そんなことを珍しく今はじめて知ったみたいにして喜ぶんだね」
そう経房さまはおっしゃいました。

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 ~~~~~~〈解説〉~~~~~~

◆御物忌(おんものいみ)
物忌は当人が引き籠もるのはもとより基本的に物や人の出入りを禁じるので、
天皇の物忌の際、侍臣は前日から殿上の間に詰めていなければならなかった。

◆丑の刻を過ぎてからだと…
丑の刻は二時から四時の間。
当時は丑の刻で日付が変わるとされていた。

◆紙屋紙(かんやがみ)
蔵人所で使われる紙。京都の紙屋川(西堀川上流)の紙屋院で漉いた。
宮中の反古紙を使って漉かれたので薄墨色。いわゆるリサイクルペーパー。
官用で宣旨や綸旨にも用いられた。

◆孟嘗君の鶏(もうしょうくんのにわとり)
『史記』孟嘗君列伝にある故事。
孟嘗君の鶏ってのは鶏鳴狗盗の鶏鳴のほう。
孟嘗君は斉の王族で姓名は田文という。
秦王に仕えていたが、色々あって王と関係が悪化し殺されそうになったため国外脱出を謀った際、
一番鶏の声で開門すると決められていた函谷関を突破するのに
鶏鳴の真似の上手い食客の鳴き真似で関が開き無事脱出したという逸話。

◆逢坂の関(おうさかのせき)
山城・近江の国境にあり平城京防衛の要であった。
平安時代に入ってまもなく廃しされ、当時は自由に通行できるようになっていた。
その名から男女が相逢うことにかけた歌枕として用いられていた。

◆僧都の君(そうずのきみ)
隆円(980~1015)。伊周や定子の同母弟。当時二十歳。

◆経房(つねふさ)
源経房(969~1023)。父は高明、母は藤原師輔五女。俊賢の弟。藤原道長の猶子となる。
当時左近権中将、31歳。笙の名手。
跋文によると『枕草子』が世に広まったのは彼のおかげ。
清少納言が実家に引き籠もっていた時に彼女の居場所を知っていたほど、
清少納言との仲は親密だった模様。

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長保元年(999)7月18~19日の出来事?

百人一首に採られている清少納言の歌が詠まれた際のエピソード。
二人の歌の詳細については、『行成の和歌(3)』
で詳しく語ってます。

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