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    平成21年3月24日
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2009年4月 9日 (木)

『枕草子』百二十七段

二月、宮の司に

 二月、太政官の役所で定考とかいう事をするのだそうです。一体どんなことなのかしら?孔子の絵などを掛けたりするらしいのだけど。
聡明とかいって、主上や中宮さまにも、なんだか気持ちの悪いものを土器に盛りつけて差し上げるんです。

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 頭弁藤原行成さまのもとから、主殿寮の役人が、絵巻物のようなものを白い紙に包んで、さらに見事に咲いている梅の花を添えて持って来たのよ。
絵なのかしら?と思って、急いで手にとって開けてみると、餅餤(へいだん)という餅菓子のようなものが二つ並べて包んであるのです。
添えてあった手紙は公式文書のようになっています。

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   進上           (しんじょう)
   餅餤一包        (へいだんひとつつみ)
   仍例進上如件     (れいによってしんじょうくだんのごとし) 
   別当少納言殿      (べっとうしょうなごんどの)

       長保元年二月×日        美麻那成行

       この男は自分自身でこの手紙を持って参ろうと
       思ったのですが、明るい昼間は醜い容貌が恥ずかしい
       からと、参上せずにいるようです。

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 実に見事な字で書いてあるのよ。
中宮さまのもとに参上して、ご覧に入れると
「本当に立派な筆跡だこと。それにしても、面白いことを書いていますね」
そう行成さまの字をお褒めになると、手紙は手元にお召し上げなさいました。
「こういった場合、返事はどうしたら良いのかしら?この、餅餤を持って来た者には何かねぎらいの物を渡すべきなのかしら?誰か知っている者がいたらいいのに……」
などとブツブツ言っていると、中宮さまが
「惟仲の声がしていたわ。呼んで聞いてごらんなさい?」
そうおっしゃってくださいました。
さっそく私は部屋の端まで出て
「左大弁さまに申し上げます」
人づてに呼ばせると、中宮さまのお召しだと思ったのか、惟仲さまはびしっと威儀を正しておいでになりました。
「ごめんなさい。私が用があってお呼びしたのです。ひょっとして、弁官や少納言などのもとにこういった物を持ってくる使いの者には、何かねぎらいの物を与えたりするのでしょうか?」
「いや、そういうことはしません。ただ受け取って食べるだけです。しかし、どうしてそのよう

な事をお尋ねになるのです?もしや太政官のどなたかから、贈られてきたのですか?」
「まさか……」
別に行成さまの事を言う必要もないので軽く流しておいて、返事は真っ赤な薄様の紙に書きました。

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   自分で持ってこないしもべは、冷淡な奴ね、と思われてしまいますよ

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 綺麗な紅梅の枝に結んで届けさせました。
するとすぐに、
「しもべが参りました、しもべが参りましたよ~」
そんな声がしたので、部屋の端に出ていくと、行成さま御自身がおいでになっています。
「ああいった贈り物には、適当に歌でも詠んで返事をなさるなかな?なんて思っていたのに、ビックリしたよ。実に見事に言ってのけたね。女の人で、ちょっとばかり歌に自身のある人なんかは、すぐに歌詠みぶるのにさ。貴女はそんなことしないから付き合いやすいよ。僕なんかに和歌を詠みかける人のほうが、かえって考えなしだろうよ」
「それじゃあ、まるで則光ですわ」

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 二人で笑い話にして終わったこの事に関して、
「主上の御前に多くの人が伺候していた時にね、行成さまがお話なさったので、『餅餤に冷淡とはうまく返したものだ』と主上がおっしゃっていましたよ」
ってな事を後から人が私に話してくれたんだけど、ちょっと聞き苦しい自慢話かしらね。

 ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

◆定考(こうじょう)・聡明(そうめ)
清少納言は2月11日の「列見」と8月11日の「定考」、二月・八月の上巳の日に行われる「釈奠(せきてん)」とが混乱中。
二月の行事なのは「列見」と「釈奠」。
太政官庁で行われるのは「列見」と「定考」。ちなみに「釈奠」は大学寮で行われる。
孔子の絵を掛けて云々…というのは「釈奠」のこと。孔子・顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓・宰我・子貢・冉有・季路・子游・子夏の九哲の画を掲げて祀る。その際に供えた食肉を翌日に土器に載せて「聡明」と称して天皇に献上した。「聡明」は『延喜式』では大鹿・小鹿・豕(いのこ)とそれぞれの五臓&菟(うさぎ)・醯料とあるが、後に腐臭を嫌ってか『江家次第』では餅(白黒)・梁飯・栗黄・乾棗となっている。
「列見」と「定考」だが、六位以下の官人を選叙する前に容儀器量を列見する儀式が「列見」(面接みたいなものか?)、その選叙を施行する儀式が「定考」。

◆主殿寮(とのもづかさ)
宮内省に属し、殿庭の掃除・燭火・薪炭のことを司る。
枕草子などでちょくちょくパシリをやっている姿が見える。

◆餅餤(へいだん)
「列見」「定考」に上卿以下公卿諸臣に供される餅。餅に鳥の卵や野菜を入れて煮、筒状の形をしていた。

◆美麻那成行(みまなのなりゆき)
行成のペンネーム(笑)。
当時、右弁官局の下級役人(つまり行成の部下)に美麻那延政という人がいたらしい。その人の姓を拝借したものか。

◆明るい昼間は容貌が恥ずかしいからと…
行成がブッ細工…なのではなくて、葛城の一言主神に引っかけている。
一言主神は役小角に使役されて金峯山と葛城山に石橋を架けさせられたが、その醜貌を恥じて夜間にしか働かなかったのだとか。
そういえば、『枕草子』で一言主神を引き合いに出した人がもう一人いたなぁ。

◆惟仲(これなか)
平惟仲(944~1005)。「大進生昌が家に」の段に登場する平生昌の兄。
父は贈従三位珍材。母は備中国青河郡司女。出自は低いながらも公卿の座に登りつめた実力派。
だがその出自の低さと時流を読んで道長方へシフトしたがために、この兄弟は清少納言に良く思われていない。
長保元年(999)当時、彼はすでに従三位中納言中宮大夫であったが、清少納言はあえて前官である「左大弁」と書いている。
ちなみに彼は中宮大夫をその年の7月に自ら辞することとなる。

◆弁官や少納言のもとに…
清少納言を太政官の少納言に擬して行成は餅餤を贈ってきたので、それに応えるために儀式で餅餤がどう扱われるか聞こうと思ったのだろう。

◆則光(のりみつ)
橘則光(965~1028以降)。清少納言のモト夫。父は敏政。清少納言との間に則長を儲ける。
一部で「ワカメの則光」と呼ばれているのは(え?呼ばれていない?)「里にまかでたるに」の段で実家に引き籠もり中の清少納言の在所をしつこく尋ねる斉信の鉾先をかわす為にワカメを頬ばってやり過ごしたから。
その段に「オレを好いてくれる女は、歌を詠んでよこしてはならない。そんなことをするような奴はすべて仇敵と思うからな。いよいよこれで二人の関係もお終いだって思うような時に、歌を詠んでよこせばいい」と常々言うので、清少納言は和歌を送ってやったら本当にそれっきりになってしまったという話がある。

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行成から餅餤を贈られているところからみて、長保元年(999)2月11日(「列見」が行われた)または、その翌日の出来事。

ここでの行成の「僕に和歌を詠みかける人の方が~(まろなどに、さることいはむ人、かへりて無心ならむかし)」発言と『大鏡』の記述から、行成は和歌が苦手だったと推察しているのですが…実際の所はどうだったのでしょうね。
行成が詠んだ和歌は数は少ないとはいえ伝わっていますので、則光のように全くもってダメということではなさそうですけど(苦笑)

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