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2009年4月19日 (日)

『枕草子』百三十一段

五月ばかり、月もなういと暗きに


 五月ごろの月もなくとても暗い夜、男の方々が
「どなたか女房は詰めておいでですか?」
などと騒いでいるので、中宮さまが気に止めなさり
「出てみなさい、いつになく言い立てているのは誰なのです?」
そう仰せになるので、私は部屋の端まで出ました。
「一体誰ですか?ずいぶん騒々しく大声をお出しになる方は」
男の方は何も言わずに、御簾を持ち上げて、下からゴソゴソっと何かを差し入れてくの。
呉竹なんだわ。
思わず
「あら、『この君』だったのね」
そう口にすると、男の方たちは
「さぁさぁ、まずはこの事について殿上に戻って語り合おう」
などと言いながら、式部卿宮さまの御子息の源中将頼定さまや六位蔵人など、
そこにいた人たちは向こうへ行ってしまいました。
頭弁の行成さまはこの場にお残りになって
「なんだか連中、妙な具合で帰ってしまったみたいだな。あのね、実は清涼殿の御前の竹を折って歌でも詠もうとしていたのだけれど、どうせなら職の御曹司へ参って、中宮さまの女房たちを呼び出して詠まないか?ってことになって持って来たんだよ。なのに貴女に呉竹の名をいとも簡単に言われて退散しちゃったのは、ちょっと気の毒だね。貴女は一体誰の教えを受けて普通の人は知っていそうもない事を、そうもあっさり言うのかな?」
「竹の名だなんて知りませんでしたのに、失礼な女だとでも、皆様お思いになったのでしょう」
「…そうだね、貴女は知らないよね」

 事務的な用件なんかも一緒に座り込んで話し合っていますと、
「栽ゑてこの君と称す~♪」
と殿上人たちが藤原篤茂の詩を吟誦しながら、また集まってきました。
行成さまが
「殿上の間で皆で話し合って決めた目的も果たさずに、どうしてお帰りになってしまったのかと不思議に思っておりましたよ」
と言いますと、頼定さまは
「ああ言われては、どんな返事をしたらいいというのか?下手な対応ではかえってブザマだよ。殿上でもこの事でもちきりなんだ。主上もお聞きになって面白がっておいででした」
そう話して下さいます。
行成さまも一緒に藤原篤茂の詩を何度も何度も吟誦なさって実に風流な雰囲気でしたので、他の女房たちもそれぞれ端近に出てきて殿上人たちと夜通し語り合っています。
帰るときになっても、殿上人たちはまた同じ詩を声を合わせて吟誦して、
左衛門の陣に入ってしまうまでその声が聞こえたのよ。

 翌朝とても早い時間、
少納言の命婦という主上付きの女房が主上の御手紙を中宮さまに差し上げたときに、
昨日のことを中宮さまに申し上げたらしいの。
中宮さまは、局に下がっていた私をお召しになります。
「そんな事があったの?」
「存じません。何の事だか知らずにおりましたのを、行成の朝臣がうまくおっしゃったのではないでしょうか?」
「うまく言う、とはいっても…ねぇ」
中宮さまはそうおっしゃると、にっこりと微笑みなさいました。



 中宮さまは、お仕えする女房の誰の事であっても、
殿上人が褒めていましたよ、といった事をお聞きになると、
そう評判される女房のことを自分のことのようにお喜びなさるの。
本当に素晴らしい事ですわ。


  ~~~~~~〈以下解説〉~~~~~~

◆呉竹(くれたけ)
清涼殿東庭の竹の植裁の呉竹と河竹。その呉竹の方。

◆この君(このきみ)
「王キ之字は子猷(中略)、嘗て空宅の中に寄居し、便(スナハ)ち竹を種(ウ)えしむ。或ひと其の故を問ふ。キ之但嘯詠して竹を指して曰く、何ぞ一日も此の君無かるべけんや(『晋書』王キ之伝」キの字が出ない…(;´ρ`))

◆源中将頼定(げんちゅうじょうよりさだ)
源頼定(977~1020)。父は式部卿為平親王、母は源高明女。
清少納言に「かたちよき君達」と評されるほどの美形。
当時22or23歳。
のちに三条天皇の東宮時代の尚侍(藤原綏子)に手を出したり、一条天皇没後にその女御(藤原元子)と密通してみたりと艶名流しまくりのプレイボーイ。

◆栽ゑてこの君と称す(うえてこのきみとしょうす)
和漢朗詠集にも入集の藤原篤茂の漢詩の一節
「晋の騎兵参軍王子猷 栽ゑてこの君と称す
唐の太子賓客白楽天 愛して我が友と為す」
元ネタは前述の「この君」の王キ之(子猷)の逸話と、
「水は能性淡にして吾が友と為る。竹は解心虚にして即ち我が師たり(『白楽天詩集後集』池上竹下の作)」

◆左衛門の陣(さえもんのじん)
建春門。左衛門府の詰め所(陣)が建春門にあったので建春門のことを左衛門陣と称した。
中宮職から建春門まで直線距離で約150メートル。

◆少納言の命婦(しょうなごんのみょうぶ)
主上付きの女房。詳細不明。


長徳四年(998)五月もしくは長保元年(999)五月のこと。
行成27or28歳の話。

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