行成の和歌(3)
権大納言行成、物語などし侍りけるに、内の御物忌みに籠もれば
とて、急ぎ帰りて、つとめて、鶏の声にもよほされてと言ひ
をこせて侍りければ、夜深かりける鶏の声は函谷関の事にやと、
言ひつかはしたりけるを、たちかへり、これは逢坂の関に侍る、
とあれば、詠み侍りける
清少納言
夜をこめて鶏のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
返し
権大納言行成
逢坂はひと越えやすき関なれば 鶏鳴かぬにもあけてまつとか
訳(清少納言)
夜が明けないのに鶏の鳴き真似でだまそうったって、
決して逢坂の関守は許しませんよ。
訳(藤原行成)
逢坂は人が越えやすい関だから、
鶏が鳴かなくても開けて待っているそうだよ
枕草子の訳はこちら→『枕草子百三十段』
向こうでは和歌の内容について流してますが、
こっちではしっかり書いていておきます(・◇・)
行成が「明日は主上の物忌みだから~」と言い訳して帰っていった翌朝、
彼から後朝ちっくな手紙が清少納言のもとに贈られてきました。
「鶏の声に急き立てられちゃって」なんて書いてあったものだから、
清少納言は孟嘗君の故事を思い浮かべて「夜中に鳴く鶏って孟嘗君のよね?」と返し
ます。
折り返し行成から「孟嘗君のは函谷関だけど、僕のは逢坂の関だよ」とあったのに触
発されて、
清少納言は和歌を詠みます。
「鶏の鳴き真似で函谷関の関守はだませても、男女相逢う逢坂の関守はだまされたり
しないわよ。私はガードが堅いんだから」
この歌、『後拾遺和歌集 雑二』に収録され、さらに『百人一首』に採られたおかげ
で古典に詳しくない人でも一度は耳にしたことがある超有名な和歌となっています。
一方、行成の和歌はというと……
彼の和歌は、むしろ訳いらねーだろ、ってくらいそのまんまです。
裏の意味ですか?
セクハラものですがな。
「何言ってるの、貴女は来る者拒まずのオープン女だろ?」といった所でしょうか
(爆)
フォロー(?)を入れとくと、逢坂の関はこの頃すでに関としての役割は果たしてお
らず出入り自由ではあったそうです。
ごくたまに一般向けの「百人一首」の解説本なんかで、この歌の詠まれた経緯のおか
げかヘタレ男として紹介されて、清少納言にピシャリとやられている行成を見かけて
生暖かい気分になります。
まぁ自業自得…なんでしょうケド(苦笑)
(詞書きは『後拾遺集』の詞書きを参考に、ちょこっといじってます)
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