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2005年8月15日 (月)

行成の妻と梁鴻の妻・孟光(3)

『唐物語』も『十訓抄』も『蒙求和歌』も『言泉集』も行成が死んだ後に書かれてます。
ということは嫁さんを「孟光」と称した元ネタは『蒙求』ということになりますか。
ところで、行成は『蒙求』読んでたのかよ?という問題がありますが、その点はバッチリです。
『権記』の中に他にも『蒙求』出典っぽい言葉を書いてるから。
それに、『蒙求』だけじゃなく『後漢書』にもほぼ同ネタで「孟光」でてるし、『後漢書』は確実に読んでたらしいので、とりあえず「孟光」の故事は知っていたと。

で、こっからが問題。
ダーリンは何を思ってハニーのことを「孟光」と称したか。

「実は行成の嫁さんはブ○でした」という結論は個人的に却下です。
むしろフツーに「賢妻でした」で済ませておきたい。
そんな私は源泰清女(姉君)が好き。むしろ「平安時代の女性で一番好きな人は?」
アンケートがあったら、定子・彰子・清少納言・紫式部押しのけて一票投じたいくらい大好きです。
って、私が行成の嫁さんを好きかどうかはどうでもいいんです。
行成が嫁さんを愛しているかどうかが重要なのです。
ちなみに行成は泰清女(姉君)愛しまくりです。七人子供作ってます。マメです。
泰清女(姉君)の臨終時は行成大号泣です。翌日、日記書きながらまた泣いてそうだし。
没後の法要だって無茶苦茶マメマメしく催してます。
ん……なんか脱線してるような。
つまり孟光こと泰清女(姉君)は「賢くて気が利いて一途で理想的な行成最愛の妻」ってことなのです。ハイ。

(ここまで引っ張っておいてオチもヒネリも無しか~)

と、ここまでメモ帳に書いて『権記』で行成が嫁さんのことを「孟光」と称している箇所を改めて確認しました(それを先にやれよ)
したらば、泰清女(姉君)没後も「孟光」が登場……(汗)
ということは、姉君に没後に行成の嫁さんになったと思われる妹君も「賢くて気が(以下略)」ってことですね(そういう事にしておいて下さい)
まぁ、あとは賢妻の事を「孟光」って言うのが当時流行だったとか?(爆)
他の文献で妻のことを「孟光」と称しているようなのがあったら是非教えて下さい。

最後に、行成妻が「孟光」と称されている箇所をUPっておきます。

長徳四年七月十六日
……(派手に省略)……加以僧都験徳甚明之由、孟光與惟弘感悟無極、(行成病気により瀕死(というかほとんど逝きかけ)状態だったのを観修僧都に戒を授けられてなんとか復活し、それに感激する嫁さん(姉君)と惟弘(行成腹心の家人つか乳兄弟?))

長保三年二月二十九日
………(世尊寺供養中、その詳細)……諷誦本家三百端、孟光百端、西方百端、……(世尊寺オープンの諷誦料。本家は行成のこと、孟光は嫁さん(姉君))

長保四年十月十日
自渡殿移寝殿、自此夜孟光煩赤痢
(嫁さん(姉君)赤痢を患う。この六日後の十六日、嫁さんは亡くなります)

寛弘七年三月十一日
詣石山、……(省略)……、自及孟光・実経・宮犬・第三娘・幼女兒等料、……
(ここの嫁さんは泰清女・妹君)

他にもあるかもしれませんが、とりあえず。

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