行成の妻と梁鴻の妻・孟光(2)
とりあえず、「孟光」なる女性がいかなる人物なのか把握するために真面目(?)
に『蒙求』と『唐物語』の意訳を紹介。
まずは『蒙求』の「孟光荊釵」
後漢の梁鴻は字を伯鸞といい、扶風平陵の人です。
同県の孟家に娘がいました。肥満で醜くて色黒、力は石臼を持ち上げるほど。
彼女は選り好みをして、三十歳にまでなっていました。
父母が彼女に結婚の条件を聞いてみると、彼女は
「梁伯鸞さんみたいな賢い人と結婚したいです」
と答えました。
梁鴻はその話を聞いて、彼女を迎えました。
結婚するにおよんで、彼女は初めて着飾って嫁ぎました。
しかし、梁鴻は七日経っても彼女を相手にしなかったのです。
彼女は何か不調法でもしでかしたかと思い謝罪すると、梁鴻は言いました。
「私は、皮衣毛衣といった粗末な着物を着て、共に深山に隠れ住むような人を妻にと望んでいた。今、貴女は綺羅の如き衣を着、化粧をしている。私が結婚したいと思った貴女ではない」
その言葉を聞いて彼女は、
「わたくしも、侘び住まい用の服を用意しておりました」
そう言うと、すぐに服装を改め髪を結いなおし布衣を着て、自らすすんで働きました。
梁鴻はとても喜んで、
「それでこそ本当に私の妻だ」
と言い、そして字を徳曜とつけました。
彼女の姓名は「孟光」です。
共に霸陵山中に隠れ住みました。
次に『唐物語』の「孟光、夫の梁鴻によく仕ふる語」
むかし、梁鴻という人が、孟光と結婚して長年暮らしておりました。
この孟光という女性、世に比類無く醜くて、彼女を見る人は驚き惑って大騒ぎをするほどなのですが、彼女は夫をこの上なく大切な人と思って、仕え敬うことは他人の想像をはるかに越えるほどでした。
朝夕の食事には自ら杓子を取って御飯を盛りつけ、眉の上に捧げ持って鄭重に夫に献じるその様は「斉眉の礼」と言って今に伝えられています。
さもあらばあれたまのすがたもなにならず ふたごころなきいもがためには
(そんなふうならば、それでいい。美しい姿など何ほどでもない。一途に私を想ってくれる貴女なのだから)
情愛さえ深ければ、玉のような姿・花の如き容貌でなくても本当に残念がるという事はないであろうよ。(とは言っても、醜くない顔に見変えるというのは難しいが)
『唐物語』最後のツッコミはヒドイ…(写本によってあったり無かったりらしいですが)
私がコピってきた『蒙求』には「斉眉の礼」にあたる部分がありませんでしたが、別系の本にはあるようです。
まとめると孟光は、容貌はイマイチだが無駄なお洒落に走ることなく山奥暮らしも平気で、旦那さんを敬い仕えることこの上ない(ちょっと行き過ぎなくらい?)夫的に非常に理想的な妻ってことでしょうか。
『十訓抄』にも「孟光」話があるようですが、そっちでは「外見よりも心を取っとけ」ってな感じで孟光を例に挙げ、超絶美人でも夫を軽んじ浮気心があればかえってあだとなって良くない…といったふうに書かれてます。
『十訓抄』にでてくるし『唐物語』で取り上げられてるし、よく知らないけど『蒙求和歌』『言泉集』とかいう本にも紹介されているらしいです。
実は「孟光」って当時の日本では結構有名な中国女性だったのか…
まだまだ終わらない……、続きはまた明日。
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