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    平成21年3月24日
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2005年8月15日 (月)

行成の和歌(7)

   梨の花に時過ぎたる実のつきたるに、右大弁

  春ふかみ深山がくれの花なしと いふにつけてもわきぞかねつる

   返し

  常ならぬ身をぞ恨むるならぬより 花なしといふ世にこそありけれ

   又かくてはとて

  ありといふ程だにあるをかつ見つつ 花なしといふ春をこそ思へ

訳(行成の和歌):春が深まり「深山隠れの花なし」とおっしゃるにつけても、
         その真意をはかりかねてしまいます。
        (ほら、この枝のように花も実もある貴方なのに
         いつまで引き籠もっているおつもりですか?)

訳(公任の返歌1):人並み以下の我が身が恨めしい。
          大成する前から華ナシと決めつける世間だったのだね。

訳(公任の返歌2):梨の実のことを「有りの実」という時もあるのだと思う一方で、
          この枝を見ながら花なしと嘆く春を思うのです。

『公任集』より、斉信に位階越された為いじけて長期引き籠もり中の公任に贈った行
成の和歌と公任の返歌。
この歌の詠まれた背景について、公任サイドの事は詳しくない(というか資料の持ち
合わせがない…)ので行成サイドから見てみたいと思います。
寛弘元年(1004)10月21日に正三位権中納言だった斉信は、同日行われた一
条天皇の北野松尾平野行幸に従い還御後御苦労さんの賞で従二位に叙されます。
この時、正三位中納言として斉信の上席にいた公任(と時光)の位を越えてしまうん
ですね。
それが相当悔しかったらしく、公任は一年近く出仕拒否をします。
『公卿補任』寛弘二年の公任のトコロには「去年十一月以後出仕セズ」って書いてあ
るし…
小野宮さんの日記や御堂さんの日記はどうだか知りませんが、行成の日記『権記』に
は寛弘元年11月23日の賀茂臨時祭に出席しなかった人リストに名を連ねて以降、
翌年の7月21日まで公任は登場しません。
で、その寛弘二年7月21日、具平親王邸に詣でた行成はそこで「公任が今日辞表を
提出したよ…」と伝えられます。
結局その辞表は返され公任は一階加えられて従二位となります。
良かったね~と言いたいところですが、斉信には追い越されたまんま。
結局最後まで斉信より下位に甘んじることとなります。
この二人、歳が近いからね…(公任は斉信の一つ年上)、お互い相当ライバル心燃や
してそうでコワイです。
公任出仕再開後に斉信と顔会わせた際どんな空気が流れたのか…想像するだに背筋が
凍る。

さてココからは恒例の電波(訳の時点ですでに電波ゆんゆんでしたが^^;)
行成の和歌は、先に道長と公任との間で交わされた贈答の公任の返歌を踏まえている
という説があり、私の電波もそれに拠ってます。
その道長と公任の贈答歌を『公任集』から

   世すさましうてこもりゐるころ、大殿(道長)より、春(寛弘二年の春)の事
なり

  谷の戸をとぢや果てつる鶯の まつに声せで春も過ぎぬる
(谷の戸を閉ざしてしまったのか。鶯の声を聞くのを聞くのを待っていたのに音沙汰
無く春が過ぎてしまったよ)

   御返し

  行きかへる春をもしらず花さかぬ深山がくれの鶯のこゑ
(春がめぐってきていたことも知らず、花も咲かない深山の陰で啼く鶯なのです)

おそらく道長邸に行った際にでも、道長から公任の和歌を見せてもらったのでしょ
う。
行成はベコベコに凹んだ公任を励ますべく一計を案じます。
梨の花に季節外れの実がなった枝(おそらく造花(実が作り物?))に歌を添えて贈
りました。
和歌の意味が非常に取りにくくパーな頭をかなり悩ませましたが、結局行成が言いた
かったことは拙訳の( )の中の事なのではないかと。
歌を結びつけた「ナシの花にアリの実の枝」は秀句(洒落)好きな行成ならではのセ
ンスなんでしょうね。
その歌を受け取った公任は……鬱入ってる人間というモノはなんでもマイナス方向に
とらえてしまうのか、もの凄い勢いでいじけてます(^^;)
さすがにこれではいけないと思ったようで、もう一首詠んでますケド。

余談ですが、梨の花について清少納言は『枕草子』でこんなふうに書いています。

 梨の花。酷くつまらない花だということで、身近に鑑賞したりしないし、ちょっと
した文を結びつけるのに使ったりすることさえもない。
ブ…魅力の乏しい女性の顔などを見て喩えに使うのも仕方ないわね。葉の色からして
イケてないのだけれど、唐の国ではこの上もなく素晴らしい花として詩にしている。
やはりそうはいっても、唐でもてはやされるのは理由があるからに違いないと、よく
よく見たら花びらのはしに洒落た色がね、ほんのりとついているの。
楊貴妃が帝の使者に会って泣いた顔を『梨花一枝、春雨を帯びたり(『長恨歌』)』
などと表現したのは、いいかげんなことではないのでしょうと思うにつけても、やっ
ぱり梨の花の大変な魅力というのは彼の国の人にとっては比類なきものなのねと思っ
たわ。(三十四段「木の花は」)

清少納言は梨の花に好意的ですが、平安貴族の梨の花に対する一般的な評価というの
は相当悪かったようですね。

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古典に見る藤原行成」カテゴリの記事

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